創業者と未来への想いを込めた時計「パイオニア コレクション」連載Vol.1

2021.07.12

あらゆるオケージョンやライフスタイルに合わせて着用することができる、H.モーザーのパイオニアコレクション。その開発ストーリーと魅力について、ウォッチジャーナリストとして活躍される渋谷ヤスヒトさんに解説いただきました。連載全3回の第1回目はパイオニアコレクションが誕生した背景をブランドの歴史から紐解いていきます。

開拓者(パイオニア)精神を体現した創業者

「H.モーザー」は2005年の復活以来、世界中の時計愛好家を魅了し続けてきた特別な機械式時計ブランド。日本にも復活当初から熱狂的なファンがいる。そして2016年にスタートした「パイオニア コレクション」は、2013年にブランドのCEOに就任した若きCEO(最高経営責任者)、エドゥアルド・メイラン氏が「いつでも着けられるモーザー」を念頭に置いて企画・開発に取り組んだ、今いちばん注目したい、オススメのコレクションだ。

すでに190年を超えるブランドの歴史を振り返ってみると、創業者のヨハン・ハインリッヒ・モーザー氏は、優れた時計師であると同時に、まさにパイオニア(先駆者、開拓者)精神に溢れる実業家だったことに驚かされる。

1805年、ライン河最大の滝「ラインフォール」でも知られるスイスの美しい古都・シャフハウゼンに生まれたモーザー氏は1827年、わずか22歳の時に時計工具一式を携えて故郷を遠く離れたロシア帝国の首都・サンクトペテルブルクに移り住んだ。そして資金を蓄えた氏は翌1828年、「H.モーザー& Cie」設立。繁華街・ネフスキー通りに時計店を開業する。

スイスからムーブメントを仕入れて時計を製造・販売することで事業は大きく発展し、販路は中東から東アジアにまで拡大した。だが1848年、モーザー氏は事業をパートナーに任せ、家族と共に故郷であるシャフハウゼンに帰還する。
この年は世界史で「1948年革命」と呼ばれるように、フランスやドイツで君主制国家に対する反乱、自由主義やナショナリズムによる「革命」が起きた激動の年だった。そしてロシア帝国はこの動きを抑えるためにさらに専制化。ポーランドやハンガリーに出兵するなど、ヨーロッパの大国として勢力を拡大し始めた年でもあった。おそらくモーザー氏は、こうした激動の中でロシアにおける事業の将来や家族の安全を考えたのだろう。そして43歳で故郷に戻ったモーザー氏は、この地で時計師に留まらず、新たな事業を展開する起業家、実業家としてさまざまな事業の開拓に取り組んだ。この街の象徴ともいえるライン河からの運河を建設して水力タービンを設置し、ケーブルを使って工場の動力をまかなう。さらにスイス鉄道の車両工場を地元の有力者たちと共同で設立したり、鉄道事業にも共同設立者として参画したり、ライン河に当時スイス最大規模のダムを建設し水力発電の会社を設立したり、ジズから機械加工の会社を設立するなど、まさにこの街を近代化、工業化する開拓者のリーダーとなり、今もその功績が語り継がれる街の功労者となった。

開拓者精神を継承する若きCEO

「パイオニア コレクション」というネーミングには、2013年にCEOに就任し、2016年にこのコレクションをスタートさせたエドゥアルド・メイラン氏の、創業者ヨハン・ハインリッヒ・モーザー氏への敬意と、これからの機械式高級時計に対する熱い想いや情熱が込められている。

創業者のモーザー氏は、シャフハウゼンにおける偉大なパイオニア(先駆者、開拓者)だったが、メイラン氏もスイス時計界では間違いなくパイオニアだ。

メイラン氏は、ジュウ渓谷で「C.H.メイラン」の名で先祖代々時計作りを行ってきた名門時計一家・メイラン家の生まれ。スイス時計の歴史に詳しい人の中には、この名字を聞いただけで、ジュウ渓谷の偉大な時計師たちのことを思い浮かべるかもしれない。しかも氏の父は、名門時計ブランドのトップを長く務めたジョージ・ヘンリー・メイラン氏。まさにスイス時計界のサラブレッドなのである。時計に興味を抱いたのは、自分が何歳だったかもわからない小さな頃。家族が経営する時計会社にあったミニッツリピーターが好きになったことがきっかけ、と語るメイラン氏。ところがそんな環境で育ちながらも、アメリカで学び、名門ペンシルバニア大学でMBA(経営学修士)の学位を取得した氏は、スイス時計業界の伝統的な思考や発想にまったくとらわれない。


すべてがデジタルでヴァーチャルになる世界の中でメイラン氏は、「持つ喜びを感じられる機械式時計とは何か」「先人たちの叡智と最高峰の職人技が凝縮された機械式時計の魅力を未来にどう伝えるか」を、いつも考えている。
氏が時計界の既成概念に挑戦する、今のスイス時計界を代表するパイオニアであることは、時計の枠を超えて世界を驚かせた数々のコンセプトウォッチを見れば一目瞭然だ。スマートウォッチが世界的に普及する中で、その代名詞である「アップル ウォッチ」とほとんど同じ外観の機械式モデル(2016年)や、ケースにスイスチーズを含む特殊素材を使ったモデル(2017年)など、今振り返っても斬新で、ユーモアとエスプリに満ちている。

2021年4月7日〜13日にかけてオンラインで開催された時計フェア「ウォッチズ&ワンダーズ ジュネーブ 2021」の、氏のオンラインプレゼンテーションと新作は、このフェアの中でもユニークで、時計愛好家を感嘆させたのは記憶に新しい。

いつでも着けられるH.モーザー

苦境に陥っていたH.モーザーを父と共に買収し、2013年からCEOとしてその再建に取り組み始めたメイラン氏。時計ビジネスのコンサルタントとして活動した経験を持つ氏が、最大の問題だったムーブメントの品質改善に取り組む中でさらに気になったのは、すべての製品が一様にクラシックなデザインであることだった。これは2003年に再始動したH.モーザーが、誰よりもクラシックな時計デザインを好む時計愛好家のために製品作りを展開してきたからに他ならない。だがそれではブランドに未来はない。そこでメイラン氏は、新たなコレクションを立ち上げることにした。
独創的なひげぜんまい「シュトラウマン・ヘアスプリング」に象徴される独自技術が凝縮された完全自社製の機械式ムーブメント。文字盤とケースのミニマルな美しさ。そして、ON/OFFを問わず着けられる現代的で機能的で、しかもひと目で「H.モーザー」とわかるアイコニックなデザイン。


この3つを兼ね備えて生まれたのが「パイオニア コレクション」だ。このコレクションには、創業者ヨハン・ハインリッヒ・モーザー氏のパイオニア精神と、高級時計の未来の先駆者・開拓者(パイオニア)を自認する現CEOエドゥアルド・メイラン氏の情熱が込められている。スイスでのこのコレクションの発表は2015年10月、「パイオニア」という名前にふさわしいユニークな空間で、メイラン氏自身の手で行われた。スイス・チューリッヒ大学の教授がラジオで行うと告知していた、無重力フライト実験中の航空機の中、そして実験後の大学の研究室から、だった。

*「パイオニア」発表時の映像をご覧ください。

メイラン氏は、この無重力状態での自社製ムーブメントの性能確認テストをチューリッヒ大学に依頼するとともに、開発中の「パイオニア コレクション」の試作モデルを自ら着けて実験に参加。高高度から急降下する際に起きる無重力状態で時計の機能を自ら確認した。さらに、またフライト後のインタビューで、このコレクションの魅力とその登場を予告したのである。ONのビジネススタイルからOFFのカジュアルスタイルまでどんなスタイル、シーンにもフィットする初めてのH.モーザー。それが「パイオニア コレクション」なのだ。

「パイオニア コレクション」の魅力を解説するこの連載。第1回の今回はこのコレクションの背景にある、2人の開拓者の物語を紹介しました。次回第2回は、「パイオニア コレクション」のデザインとディテール。その魅力にフォーカスします。

文=渋谷ヤスヒト